ホーリーマウンテン雑記

急遽休日になった。センスねえって言われたのでホドロフスキーホーリー・マウンテンとエルトポを一気に見ていたのだけれど、●●●が金になったり(●●●ミュージアムはこれを延々と流し続ければ俺の好きなコンテンツになる)ヒキガエル十字軍が大爆死したりと、過剰な殺人や狂気が面白くて最高(雑)なのだけど、ホーリー・マウンテン、山を登るっていうのはすごくよくて、山登れば大体のことは解決する、山登ったら下らないといけないのだけど、それはそれだし、山に登るというのはすばらしい、とにかく山に登りたくなった。山は僕に上手くいかないことに身をまかせることを教えてくれる、強大な自然を前にしてなすすべなく降伏すると自分のちっぽけさがよくわかります。センスがないからさぁ、センスってなに?

女抱いてるとセンスが良くなるらしいぞ?!?女口説くために男はアートでセンスを磨くってよ、女口説く為にアートや音楽が存在してるわけでは当然ないし、あ、いや僕もホドロフスキーも別に文学少女口説きたくて見たわけではなくて...Nothing... Nothing...

いやそれって僕の感覚からしたらクソだせえな、そもそも僕が教養や政治といったある目的のために小説を読んでいたことすら忘れ去りたいクソクソダサな行為であるにも関わらずセックスのためにアートや音楽のセンスを高める男まじでダサくないですか?ありえん…小学生にしか欲情しないから教員免許取るみたいなのとは全然違うわけで、えーなんつーんだろ、無しかねえな。だめだ、セックスのために美術館にいく人間ちょっと最高にダサい。無じゃん。無を啄むカラスのような存在じゃん。ゴミ袋になんか入ってるかなって、村上春樹とかも読んどかなあかんなとか言いながら読むのだろうか、僕がかつて全知全能を目指して全ての知識を詰め込もうとしていたのもクソダサいんですがそれ以上にダサい、下を見ないようにしてたのにあまりにも力説されるもんだからそれについてしっかり考えてしまった。ミソジニーについてなんて俺語りたくもないしこんなのマジで前提の話をなにを俺は…もう話すのもめんどくさくなってきちまった。

文学もアートも音楽も映画もただ楽しむためだけに見るのであって別に人のアウトプットのためのインプットではないわけ。それはただ存在し自分という存在が触れた時自分が震えて痙攣することその現象そのものに意味があるのであってそれを何かに活かすだとか、何かに活かす為に見るとかはマジダサいと思う

女とデートするとかなんとか女に与えるとか与えられるとかじゃなくてただ存在を共同で行うことにこそ意味があるのであって女はあなたの征服欲を満たす為に登る山ではないです。高野山を女と登るのだ。男がなにかを女に与えていくその一方方向だけだと思ってるやつらは本当になんかこうもう…もういいです。なんで若い女の子に対して付き合う男のタイプこういうほうがいいとか、まで冗談でもそんなこと言っちゃいけないと思うんですけど。なんだよなんで自分の付き合う男まで人に指図されないといけないのか?ホモソーシャルすぎんだよなぁ男は偉いですか?そもそも相手がシスヘテロじゃなかったらどーすんの?マジで嫌な思いするわけよ。そもそも俺のセクシュアリティが不明な状態で「彼女つくれよ」って言われることも俺は不快極まりない「彼氏」かもしれないしわかんないじゃん。下ネタ嫌いなのに理由があると思いませんか?俺がシスヘテロだって俺一言も言ったことないですけど。早く髪の毛伸ばしたい、いまのままじゃガチガチに男だ。

どーーーーでもいいんですけどエルトポの砂漠でセックスするシーン最高にかっこいいですよねまじで。

 

 

 

 

 

 

 


痛みという共通言語で人と話をする夢、がりがりの細くて青白い体に赤いみみずばれをたくさん刻んでいく夢、ありったけの力込めて殴ってほしいと懇願される夢、どれもこれもそうでしか生きていけないものたちの生存戦略、性向について窮しているそれ故袋小路、

僕は小学生に興味ないから教員免許を取らなくて良い。法律に問題がない程度の性嗜好だがモラルには問題があって世間からしたらそいつはキモいわけよ。