欺瞞

切り裂くように服を破いて、痣が青く残るくらい肩をつかんでほうりなげる、まるで物でも投げるように、苛々しているわけではなく、その態度が相手を言うがままにするのに適していると本能がわかっているのだ、暴力的に聞かせることに長けたそのしぐさで、本来であれば愛が故に行われる行為そのものをより動物的な行為へと落とし込める、いうことをきかせるという支配そのものに性的興奮を覚えていたのは事実、より恐怖、暴力的な何かを求めて夜を進める男の前にはもはや性交そのものはどうでもよく、一方的な弱者に行われる暴力そのものが男を興奮させた。
 「そんな風には見えなかったけどやっぱりそうなんだね」

肩に痣ができるのをわかっているように掴まれた部分をさする女が抵抗するでもなく言った言葉は、これから起こる1時間以上の暴力を肯定も否定もしないようだった。さっきまでにこにこと自分の話を聞いていた男はいない、チャーミングに見えた八重歯も今となっては自分の身を切り裂く鋏の刃のように見えるだけだったが、女の皮膚にはしっかりとキリトリ線が書かれていて...いやそれは男と女にしか見えない点線だった、傷つけられることを前提に生まれてきたわけではないが、傷つけられ裂かれることをわかりきっているさながら自傷、暴力の誘導線は必ずしも体だけでなく彼女から出る言葉からも男を導いていた。導かれていることに男は苛々していた、それはそうだ、自分が支配しているつもりがいつのまにか支配されていて、自分の衝動すら彼女のものとされようとしているのだ。女の予想外の暴力のみが彼の支配欲を満たすことができたが、そこまでする勇気自体が男にはなかった。

 男は童貞ではなかった。正確には、男は童貞から逃れることができなかった。自らの欲望に忠実であれない人間は貞操の童から逃れることなどできない、相手を犯し蹂躙し尽くしたいという欲望を達せられないものが、一体どうして、相互の貞操の砦を超えることができたと言えるだろうか。男はあくまで相手を気にしていた。爪が伸びていない角どうか必死に気にしていた。会話の一言一句を女の機嫌を損ねぬように丁寧に選び取ったつもりだった。服装から、髪型から言葉までそのひとつひとつ...。女の膣奥に辿りつくために?矮小な目的のためにたどり着くことはできないから、それらしい目標や、俺はこの女を守り切らねばならないという欺瞞を背に山を登っていくのだ。

「痛くするけど、いい..」

「いいよ。」

もはや愚問であった。嫌だと言われた一体なにをしにここへきたのか分からないほどであった。しかし、いいよと許可をもらった今でさえ、その痛みの加減を調節しているのであった。言葉に何の意味があろう?男の夜はひたすら欺瞞に満ちていた。女の夜もまた、欺瞞に満ちていた。彼らはこれから長い夜を欺瞞で過ごしていくのだ。欺瞞で過ごしていく長い年の、ほんの1日でしかないのだ。

発酵と調理

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発酵というのがいつか自分の大きなテーマになるだろう、とは薄々感じていて、発酵なんだよね〜とはずっと口にしていた。

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ものには隙間がある。そこに油や、水や、空気や、言葉は入り込む。それは水のように滲み入る時もあれば、粉のように小さな穴を進んでいく時もある。人の五感、六感よりもさらに向こう側の第七官で感じ取られる何かもそこに入り込んでいく。生物の中に無数に存在する細胞だって、粉だって呼吸をしていて、動いている。苔も恋愛をしているかもしれないし、ぐい飲みと金魚だって恋をする。それは我々の認識する恋ではないというだけで。

人と人も同じ空気を吸い、そこにいるものに影響を与えつつ生きている。もしかしたら物というのはそこにあるだけで振動しているかもしれない。心臓駆動する人間などはそれで背後に人がいることになんとなく気付くのかもしれない。なんなら星も存在するだけで振動しているらしく、NASAでその衝撃波を音楽化したものが公開されている

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https://soundcloud.com/nasa/juno-crossing-jupiters-bow-shock

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発酵というのは生物における"食べて、排泄する"つまるとこ代謝であり、まあいっちゃえばその微生物にとっては糞便(あるいは文脈的には"こやし")なのであり、それが結果的に人間にとって良い影響を与える場合は発酵と呼び、害のあるものは腐敗と呼んでいる。

よく海外のドラッグ合法論争で言及されている

「ドラッグにいいも悪いもなく、ただ彼らは自然界に存在しているだけなんだ。」というやつと同じで、良いか悪いかを二元に決めるのはいつだって人間だ。

ドラッグの良い悪いは本論ではないのでさておき、発酵というのはそういう性質を持っている。して、彼らは物に付着し、あるいは入り込み、大きなものを少しずつ変容させていく。石は風によって、あるいは雨水によって削れたり、擦れたりして形を変えていくのと同じで、それは我々人間が感じられる速度ではなくゆっくりと、しかし着実に変わっていく。

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藤枝静雄が書いた『田紳有楽』という小説は、骨董蒐集家の主人が掴まされた偽物のぐい飲みやら器やらを池に沈めておけばなんとなく味も出るだろ、みたいな感じで放り込まれた器や、そこに住む金魚やら、仏やら、はたまた神の偽物やらが出てきて大騒ぎする。

この小説ではそうやって主人の安易な考えに振り回された骨董等が主人を一泡吹かせてやろうなんて画策しながら動き回るが、藤枝静雄のコミカルさと、人間愛みたいなものが感じ取れるが、もしかしたら盗木や宝石など、人間の勝手で振り回された物等はより深い恨みを胎に抱えているかもしれない。

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調理は"理"(ものごと)を"調"(ととのえおさめる)と書く。食材たちをあの手この手を使って自分ののぞむ形に動かしていくことは調理ではない。食材はそれぞれなりたい形が決まっていて、手当をして、あるべき姿に調える下僕のような料理人が自分の目指すべきところなのかもしれない。

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そこに存在するさまざまなものは、互いに良い影響を与え合っていきましょう、珍妙奇天烈(=oddity)でも良く、ただそこにいるだけで良い。しかし誰かが理を調える必要はある。でなければ荒れてしまう。

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先日新しい仲間と知り合った折、酒を飲んだ店にあった『日本の神様カード』というのを引いた。仲間が引いたカードはそれぞれ『高御産巣日神タカミムスビ神産巣日神カミムスビ)』枠を飛び越え遊ぶ神々。自分が引いたカードは『天之御中主神(アメノミナカヌシ)』理を作り、世界を調えた万物の根源の神だった。

結構祈って、願をかけて引いた。万物の神だからすげー!最強じゃん!ということではなく、おそらく理をつくる神が自分のうしろにいる、ということは自分は場を調えつつ、周りの神々がやんややんや遊んでいるのを眺めながら酒を飲め、善哉、善哉と笑っていればよい、ということなんだろうと思っている(失礼だけど、事実この天之御中主神、世界を作ったあと何ら事績を語らずただ姿を隠したと記している)。

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僕は人から受け取ったものを、それぞれあるべきところ、かたちに調えていく役目の人間だ、という風に考え始めています。そのままその人の通りで良い時もあれば、時には伝え聞いたことを自らの内にあたため、醸し、最適な形で渡すこと。これ発酵と調理に他ならぬ、と。

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これ本当に難しいだろうなと思っていて、あるべき場所、姿を探すとき、自分を本当に消し去らないといけない筈で、本当にその人にとって"あるべき"とはなんなのかについてずっと考え続けるのってものすごく大変な作業で、かつ常に間違っているという疑いを自らに向け続ける必要がある。

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あるべきものは、あるべきかたちにただそれ自身の力で少しずつ姿をかえていく。ただ、おそらくそれそのものの力では、ありたいかたちになれないものもいるのだ。”理”を”調”えるとは、そういったものたちに非力な手を差し伸べつづけることで少しずつぼんやりと生していくだろう。

プロット

人形たちはたまらなく美しい。すべてきちんとならべてあって、埃がつかないように欠かさずきれいにしている。 

人形たちは勝手に動いている。それを頭の中で何を考えているとか、何をしゃべっているとか、考えてはいけない。愚かな行動や、優れた行為というのもまた存在しない。

私の手を離れている。言葉は勝手に踊り出す。私の中にあるのではなく、勝手にやってきて、勝手に踊って去っていく。私と踊りたがることもある。彼女は私がうまく踊れることをよく思っていない。踊れるということは踊ったことがあるからだ。

しかしこの世の誰がいちどもやったことのないダンスを、あらかじめうまく踊れるというのだ?

処女の床上手など一体どこにいる、しかし僕らはそれを求める。フリードリヒ二世が赤ん坊が自発的に話す言葉を知りたがったように、赤ん坊が自発的に話し出す言語で綴られる散文に文学を求めるように。なにか純度の高い(あるいは高く見える)ものを欲しがるが果たしてそれは一体どこにあるというのか?

幾度となく過ぎ去っていった言葉たちを見つめ直し、微笑み、囁き、交わり、それでもとうてい理解し得ない言葉達をつかって綴るセンテンスは、調律されていないピアノとギターのセッションのようにやぶれかぶれ、それでも演奏会は続いていく。

やがて私は言葉と戯れることをやめ、食材と話すようになる。料理は良い。なぜならほとんどの食材は工業化されておりひとつひとつほとんどが変わらない味わいで、レシピ通りに作れば毎回同じものができるはずである。同じもの?いったいそれはなんだ。そこに同じものなどなにひとつありはしないのに。

そうなった時、私は言葉にもう一度触れようとする。

しかし、言葉と以前のようにステップを踏むことができない。何を愛していたかも思い出せない。

私は言葉を、文学を愛していた思い出を愛しているだけなのか?

否、私こそが言葉から離れている間に新しい言葉のあり方を身につけてしまったのだ。

自らの愛し方そのものが変容してしまったために、今までと同じ愛し方はできない。

自分そのものが同じでなかった。

すぐに邂逅が訪れるはずもない、狂ってしまった調律で鍵盤ひとつひとつを確かめるように愛し合うしかなかった。

 

未定2

机の上に乱雑に並べられた中華料理、それも、ハリウッドの中華街で買ったようなテイクアウトの紙袋に入った赤めの肉料理や茶色い海鮮、卵のスープ、それぞれが乱雑に、そのいくつかは傾いて中身が溢れている、八角の匂いと唐辛子と紹興酒、部屋の真ん中のピンポン台の上グラスに注がれたそれと時折入っているピンポン玉、どうやら自分が被っているのはカーテンのレース、それもビリビリに引き千切られて服飾学生の自己満足のファッションショーのよう、髪も前衛的な寝癖を鏡に映し、鏡の前に立つ自分の目は曇り虚ろ一体何日のあいだこうしてきた?全く覚えていないが彼女がいなくなってしまってからずっとこうだ、日々襲ってくる正気を酒の穴に落下して逃れながら、それでもものすごい速度で追ってくる正気は酒瓶をボウリングのピンのように倒す。

生きていることも死ぬことも、逃走する速度よりも幾分早く追いかけてくる、このノックの音は果たして夢か現か?玄関の扉を開けると男に無理やり扉をぐいと開けられ、脚を銃で撃ち抜かれる。

「俺を覚えているか」

あれは40年前のワルシャワか?独立に沸く上海の夢の中か?あるいは30年後、中国主席と面会した後のドラッグストアか?アメリカでドラァグ・クイーンと一晩を過ごしたあの夜のことか?一夜の夢は消えていく、あの頃とはいつだ。覚えているとは何か?これから犯す罪の償いを今求めるか?

心臓に二発、頭に一発、潰れていない左目にぼんやりと映るのは彼女の写真、忘れ得ぬ彼女の写真、私は覚えている…私は、彼女を覚えている…私が殺した彼女を覚えている…彼女の名前を覚えている…

男は銃口を口の中に突っ込み

「地獄でアリカに詫びるんだな」

そう言うと撃鉄を引いた。

 


太陽が眩し過ぎるという理由で日陰を探そう、と喫茶店に入りアイスカフェオレを二つ頼む、そこは真っ暗な照明で、赤いベルベットのカーテンに脚のところに裸の男性を象っている悪趣味な黒いソファ、テーブルはバスタブの上がガラス張りで中には小さい人形が薔薇の中こちらを向いている席で、昼間だろうがキスをしたり愛撫し合ったりしているカップルがおり、俺もまた若い編集者との打合せに多用しあわよくば情事の切欠を作ったりなど利用していた。

 

 

 

mon petit au lait grasse

上唇で抑えるように、苦さを肌の上で感じながら、舌の中に甘いミルクを滑り込ませていく。まるで下着と肌の間に手を潜ませていくように、慎重に、そして愛を込めて飲み込んでいく。言葉は物事と物事との間を進んでいく。あれとこれのあいだ、過去とと未来のあいだ、僕と君のあいだ。これらを縮めるように作用する、または遠ざけるように。グルグルと回って近付けたり遠ざけたりする。だから僕たちは一言一言話す時に神経質にならなければならない。一言一句が自分そのもので、しかしそれぞれが一度口に発して空気中に音として消えていってしまえばはいそれまで溶けていってしまうが、そうなってしまってもそれを発した自分もその中に消え入ってしまっていって何故それを言ったのかは今の自分は全く覚えていない、ということはよくある。

閉店間際、片付をはじめている店員を余所目に彼女と僕はまだ二割も飲みきっていないまま、じつと互いを見つめていた。スピーカーから流れるGSの単調なエイトビート阿久悠のように糸を引く言葉だけが上滑りしていった。

昭和歌謡の言葉というのはどうも美しい。恋の歌ばかりだけれど、恋とは唯一無二のfemme fatale あるいは"あんただけ""あなたしかいない"であって、現在のスマートフォンを左スワイプで次の人どうぞ、とまるで婚活パーティのような恋愛が常態化した簡素でインスタント、代替可能なパートナーを探す気散じの遊びではない。ファムファタール、自分の人生を狂わせる運命の女。狂わせるとはなんだ?自分の人生はどうやら女によって狂うのか?それともそもそもはじめから狂っていたのか?狂っているとは一体、なにを以って狂っているとするのか?では世間の正気は一体誰が保証してくれるというのか?

 

甘いミルクの上に、濃く抽出した珈琲二層に分かれるように注がれている、この宝石のように美しい冷たい飲み物をオ・レ・グラッセという。ミルクが多めに入っていて、その上にほんの少し珈琲の膜が張っているのだが、この珈琲はミルクの有り余る甘さを覆い隠すように苦い。上唇で珈琲を抑えつつ、絶妙に珈琲と甘いミルクを同時に口に入れて舌で混ぜていくという技術がなければ、マドラーやスプーンでしっかりと混ぜて飲むことになってしまうが、それではこの躁鬱入り混じった美しい飲み物の本当の美味しさを味わえているとはいえない。強い甘みと強い苦み、この二つを同時に味わう時、なんとも表現し難い快感が口の中を満たすのだった。

折れそうに細いステムのワイングラスを持つと、しかしそれは折れる様子もなくしっかりと軸があるのがわかる。華奢そうに見えてしっかりとしているのがよけいに彼女のようで少し鼻で笑ってしまうと、なんですか、と訝しまれた。

「僕がもし、いつか居なくなるよと言って本当に居なくなったら、寂しい?」

「寂しい」

濡烏のような黒い髪は風に靡くたびに乳白の肌を見え隠れさせる。横を向いている彼女の目尻が顳顬に向かって切長に伸びていて、まるで池永康晟の美人画のようだった。画家は、こういった顔を見るたびに絵を描きたいと思うのだろう。僕の場合はこうやって心の中に文字で書くのだ。

彼女の透明さが珈琲でずっと隠れたままでいて欲しいと思った。無理に掻き回して透明さがなくならないように、僕だけが飲み方を知っていればいい、飲み干してしまいたいでもなくなってしまわぬようじつと眺めていたい、これは愛だとその時は思った。

オ・レ・グラッセは口の中で膨らんでガムシロップ 特有の甘みを舌に残して消えないまま、甘ったるさがずっと残り続けるので上澄みの珈琲を飲んで、それでも入ってくるミルクの甘さに辟易するふりをしながら、ふとした揺れで混ぜてしまわぬようステムを折れてしまいそうな程硬く持ち直していた。

 

ホーリーマウンテン雑記

急遽休日になった。センスねえって言われたのでホドロフスキーホーリー・マウンテンとエルトポを一気に見ていたのだけれど、●●●が金になったり(●●●ミュージアムはこれを延々と流し続ければ俺の好きなコンテンツになる)ヒキガエル十字軍が大爆死したりと、過剰な殺人や狂気が面白くて最高(雑)なのだけど、ホーリー・マウンテン、山を登るっていうのはすごくよくて、山登れば大体のことは解決する、山登ったら下らないといけないのだけど、それはそれだし、山に登るというのはすばらしい、とにかく山に登りたくなった。山は僕に上手くいかないことに身をまかせることを教えてくれる、強大な自然を前にしてなすすべなく降伏すると自分のちっぽけさがよくわかります。センスがないからさぁ、センスってなに?

女抱いてるとセンスが良くなるらしいぞ?!?女口説くために男はアートでセンスを磨くってよ、女口説く為にアートや音楽が存在してるわけでは当然ないし、あ、いや僕もホドロフスキーも別に文学少女口説きたくて見たわけではなくて...Nothing... Nothing...

いやそれって僕の感覚からしたらクソだせえな、そもそも僕が教養や政治といったある目的のために小説を読んでいたことすら忘れ去りたいクソクソダサな行為であるにも関わらずセックスのためにアートや音楽のセンスを高める男まじでダサくないですか?ありえん…小学生にしか欲情しないから教員免許取るみたいなのとは全然違うわけで、えーなんつーんだろ、無しかねえな。だめだ、セックスのために美術館にいく人間ちょっと最高にダサい。無じゃん。無を啄むカラスのような存在じゃん。ゴミ袋になんか入ってるかなって、村上春樹とかも読んどかなあかんなとか言いながら読むのだろうか、僕がかつて全知全能を目指して全ての知識を詰め込もうとしていたのもクソダサいんですがそれ以上にダサい、下を見ないようにしてたのにあまりにも力説されるもんだからそれについてしっかり考えてしまった。ミソジニーについてなんて俺語りたくもないしこんなのマジで前提の話をなにを俺は…もう話すのもめんどくさくなってきちまった。

文学もアートも音楽も映画もただ楽しむためだけに見るのであって別に人のアウトプットのためのインプットではないわけ。それはただ存在し自分という存在が触れた時自分が震えて痙攣することその現象そのものに意味があるのであってそれを何かに活かすだとか、何かに活かす為に見るとかはマジダサいと思う

女とデートするとかなんとか女に与えるとか与えられるとかじゃなくてただ存在を共同で行うことにこそ意味があるのであって女はあなたの征服欲を満たす為に登る山ではないです。高野山を女と登るのだ。男がなにかを女に与えていくその一方方向だけだと思ってるやつらは本当になんかこうもう…もういいです。なんで若い女の子に対して付き合う男のタイプこういうほうがいいとか、まで冗談でもそんなこと言っちゃいけないと思うんですけど。なんだよなんで自分の付き合う男まで人に指図されないといけないのか?ホモソーシャルすぎんだよなぁ男は偉いですか?そもそも相手がシスヘテロじゃなかったらどーすんの?マジで嫌な思いするわけよ。そもそも俺のセクシュアリティが不明な状態で「彼女つくれよ」って言われることも俺は不快極まりない「彼氏」かもしれないしわかんないじゃん。下ネタ嫌いなのに理由があると思いませんか?俺がシスヘテロだって俺一言も言ったことないですけど。早く髪の毛伸ばしたい、いまのままじゃガチガチに男だ。

どーーーーでもいいんですけどエルトポの砂漠でセックスするシーン最高にかっこいいですよねまじで。

 

 

 

 

 

 

 


痛みという共通言語で人と話をする夢、がりがりの細くて青白い体に赤いみみずばれをたくさん刻んでいく夢、ありったけの力込めて殴ってほしいと懇願される夢、どれもこれもそうでしか生きていけないものたちの生存戦略、性向について窮しているそれ故袋小路、

僕は小学生に興味ないから教員免許を取らなくて良い。法律に問題がない程度の性嗜好だがモラルには問題があって世間からしたらそいつはキモいわけよ。

雑記

「人間関係の内側に入り込めない」という台詞を酔潰れた女が絵の本の中で吐いていて、嗚呼僕も僕も!と頷いていた。人間が下手なので人間が下手そうな相手にしかシンパシーを感じないが僕がシンパシーを感じたところで相手は迷惑千万だししかも人間下手そうなやつにしたって僕よりは人間うまくやっている、と、これもさっきの本の中の同じ人が吐いていた台詞で、人のことをわかろうなんざ自分の事もわからない奴がよく言うよな。わかり、ってよく言えるよ、わかってなんかいない。そういえば一度僕がブレードランナーが好きという前情報しか知らない初対面の人に「君にはリドリーの意図なんか絶対にわかりはしないよ」と喋って2分で言われたことあったけど僕がリドリーの意図がわかるかどうかなんてことどうしておまえがわかるんだ?おまえひょっとしてエスパー?折り紙でお前のこと折ってやるぜ。

内側に入り込めないってそりゃあそうだよだってあなたのことが知りたくて喋って居ます、て時に人は他愛もない会話上っ面の会話で肌を滑り込んでいくように人の内側に入っていくのに対して僕は注射器もって「あなたのことが知りたいのでとりあえず血液いただいてもいいですか?血が何色か知りたいので」みたいに人の内面を知るために抉り取って解剖するような言葉の針を突きつけようとする、側から見ればサイコパスで注射器持って仲良くなりたいなんて言われたら誰だって警戒するけども僕はそうなんです。でも血液調べたところでなんにもわからないので、目の前の対象を知るとかではなくただ僕は血液を採取して調べることのほうが好きなのかもしれないな。一目見ただけでその人の職業や習慣を知ることが出来るホームズが毛嫌いされるのはなんで?

人は人のことをわかろうとして人と対峙してるのか?ということさえわからない。

飲み会など、上っ面の会話で天気の話とか、会話に入り込めないのでその大部分は覚えていないのだけどなんか他愛もない会話、そもそも他愛もないは古語派生らしいけど他愛って漢字からして愛もないのか?俺は他愛もない会話ができないから愛がないのかそれとも他とは一体なにか?ということを考えてぐるぐるしている。

僕は大勢の人が集まっているところでうまく話せないので俯いていると、しきりに「君黙ってるけど大丈夫?」みたいなことを聞かれて「大丈夫です、大丈夫です」と譫言のように繰り返して俯いて居た。普段は適応するために過剰に喋って後で落ち込むのだけれど適応機能がオーバーヒートを起こして壊れていた。その場その場の色に合わせて過剰に自分を落とし込んで対応するとスタミナ消費してすぐスタミナドリンクなり魔法石なり課金しないと人間のレベルが低いので寝て回復しないと体が持ちません。適度に順応できる人間はえらい!すごい!

"カメレオン皮膚痛み"ということを調べていたけれどGoogle検索の検索結果には"含まれない痛み"(痛みの部分に取消線)という頁しか表示されず、うああっとなった。アトピー持ってないけどアトピーの人は空気に適応できなくて皮膚が荒れるのか?なんてことを考えて心のアトピーなんてことをまたぐるぐるしてた。人間アレルギーなんて本があるので立ち読みしてみたらどうやって治すかなんてことばかりでどうやってそれでも生きていくかについては冒頭には特になかったので買わずに帰った。人の冒頭だけ読んで最後まで読まずにその人を見定めていませんか?と内側の僕に言われたけど最後まで読んでダメージドになってしまったら一体誰が責任とってくれるの?

自分が汚いなと思ったら綺麗にしようとするのでそれ故に僕は外見だけは美しくいたいなと自分の美しさの基準で髪を伸ばすのですがあまり世間から評判は良くなく、切ったほうがいいよ、短いほうが普通に見えるよってハ?!???!ぼぼぼぼぼぼくは至って普通ですけど!?!?何をもっておまえは僕のことを普通じゃないと認定してふつうにはしようとしているのですか?おまえのふつうじゃ生き辛いんですよ、理解してくれって思ってないからせめてほっといてくれ俺の氷の城に妹だからといって入ってくるな、ありのままの姿みせるのよってありのままの自分になったエルザの城に土足で踏み込んでくんじゃねえよやっぱり一人じゃ生きられないでしょ?みんなといたほうがたのしいね!っていう同調圧力やめませんか?

僕は一人で楽しいわけじゃないですけど文学好きで整った横顔の不機嫌な女の子が家にいればそれでいい。