手紙2

昨日に続き今日もサーロインがバカ売れ。今日は仮眠します。
赤いボサボサのアフロにばっちりメイクのピエロは、ペニーワイズといって、相手が恐ろしいものに化けて子供に恐怖を与える。なぜ恐怖を与えるかというと、それは単純な設定がつけてあって、恐怖を与えると子供はより美味しくなるのだという。美味しい子供が食べたいから、恐怖を与える。なるほど、単純明快だ。美食家じゃん。フランスではフォアグラを作るために鴨に無理やり飯食わせるのが問題になっていて、伝統を守りたい(というか美味いもんを食いたい)人たちと動物愛護よ人たちとで争っているらしい。フォアグラなんて脂肪肝だもんね、知ってると思うけど。美味しいものを食べたいという欲求は単純でそして崇高だ。より美味しいものを食べるために、今目の前にあるものを食べずにおけるか、という我慢の問題はある。でも人はそれを往々にして我慢できる生き物なのだ。そういったものが食べられない時に吉野家やらマックやらで食べることはある。わたしはそこはせめてもの行持としてサブウェイを使っている。それはともかく、この前のあのズッコケ三人組即物的に性欲を満たすために行動しているのが面白く、「おい、ファーストフード店でハンバーガーの買い方でも忘れちまったのか?」とアメリカンジョークが言いたくなる始末だった。いやいや、今思いついたけどズッコケ三人組、自分で笑える。そのまま大人になったらあんな感じかもな。人のことはどうでもいいんだってば。私は常に左手でフォークを持って右手にナイフを持つことができる人間だし、フィンガーボールを飲んだりしない。当たり前だけど。爪もせめて使う部分は切っておく。中学生の時に言われた、爪の長いやつはモテないことが一発でバレる、ってこと。
でも食材の方も美味しく食べられたいなら脂肪肝作るなんて当たり前だ。食べて食べてぷっくり太った肝臓。恐怖を与えられて美味しくなる子供。では女は一体どうすれば美味しくなる?常に会うまでに情欲を蓄えておくようにすれば良い。朝起きても、通勤中でも、会社でも、帰宅しても、ベッドの中でも、常に情欲を掻き立てる妄想を、想像をしていれば、頭の中はフォアグラのようにピンクになり実際に行為に及ぶ際にはしっかりと熟成されているという仕組み。どんな形でもいい。縄?鞭?痛いときはちゃんと喘ぐのか?何も知らない。もっと知りたい、手が届かない。

獣のようになりきれないから、ドラッグのかわりに酒を飲むのか?旧時代的だ、ドラッグも酒もなくても快楽に溺れられるはずなのにそうならないのはトレーニングされてないから。まだまだ青い。もっとピンクでいい。
高校時代に自分で書いた小説で、主人公が言うには「なんでセックスする為にあくせくつまらないアルバイトで働き、働いた金で女に飯を奢り、いい感じになったらまたそこでも爪を切っているかどうか気にして、相手が気持ちいいかどうかなんてことを気にしているのか。一方的な蹂躙はしないのか。君の価値はその女の身体に対してそこまでしないと見合わないのか?」という。そんなこと書いたっけな、覚えがないが、たしかに馬鹿らしい。金使って気を使わせてもらっているのか?女の身体に爪を立て痕を残し頰を叩き号泣させながら行為に及ぶに値する価値が男自身にないのではないか?
そりゃそうだよね、みんな回数をこなしていないので当然、練習の少ない人間はうまくやることができない。
フォアグラは食卓に並ぶ夢を見るだろうか。目隠しされても、人間に食べられることが自分の人生の全てだと感情を捨てられるだろうか?そうあってほしい。いろんなものを蓄えてあなたに食べられるためだけに含んできた全てを味わってほしい、と思うに違いない。